鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

人間を救う司法へ  第216回

2024/11/06
  前回、袴田事件無罪判決に対する、検事総長談話の無責任性を批判した。「相当な長期間わたり、その法的地位が不安定な状態に置かれてしまうこととなりました」。死刑判決を受けて56年、無罪を勝ち取るまでの半世紀を、まるで自然現象、あたかも逆風に吹かれた不運に同情している風情なのだ。 

  しかし、この逆風は、ほかならぬ警察が証拠をでっち上げ、検察がそれと一体化して、袴田さんを命のギリギリの境界線にまで追いこんだ責任を、まったく認めていない。

 「『5点の衣類』が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠がしめされていません」とも言い、判決文に「証拠のねつ造」と書かれたことに対して、検事総長は「強い不満を抱かざるを得ません」「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」とも語っている。 

  しかし、袴田さんがまったく関知しないのに、どうして衣類が味噌タンクの中に入れられたのか。10年前の再審開始判決決定と、今回の無罪判決との2回にわたって、科学鑑定によって、裁判所は「証拠捏造」を指摘している。だから、むしろ検事総長は警察官と検察官を証拠捏造の疑いで取り調べるべきなのだ。袴田さんの命を奪う重大犯罪なのだ。 

  袴田裁判にこだわるのは、かつて四つの死刑冤罪の一つ、財田川事件について『死刑台からの生還』1冊書いたのと、いま狭山事件再審請求運動に関わっているからだ。狭山の集会には袴田巌さんも、姉のひで子さんにもきて頂き、ひで子さんは何回か参加してくださった。わたし自身、浜松のお宅へも伺っている。 

  冤罪事件での次の課題は、事件から61年6カ月、いまだ殺人犯の汚名を雪いでいない、狭山事件の石川一雄さんの名誉回復である。正義への挑戦ともいうべき、検察側の証拠捏造、開始決定への抗告などを禁止する再審制度の整備が、いま、緊急に必要とされている。