鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

警察と検察の民主化を  第218回

2024/11/20
  袴田裁判の無罪判決が明らかにしたのは、捜査関係者のでっち上げ、という恐るべき事実だった。無実の人間を逮捕する。それがたとえ誤認逮捕だったとしても、著しい人権侵害である。しかし、重大犯罪であれば、すでにマスコミが書きたてている。 

  逮捕する側は怪しい、と判断した上での行動だから、自信を持っている。それが思い込みであったとしてもとにかく自供に追い込みたい。手を替え、品を替え、相手の弱みにつけこんで自供を迫る。 

  「人質司法」と言われるように、勾留したまま密室(取調室)に閉じ込め、何人かの刑事が入れ代わり立ち代わり、脅かしたり取り入ったり、あらゆる手段を使って動揺させ、自白調書を取ろうと躍起となる。弁護士がカバーすることなどほとんどなく動揺させ、嘘の供述を取る。 

  袴田事件の1日、15時間にもおよぶ尋問は「拷問」であって、「デュープロセス」(適正手続き)違反、すでにそれだけでも憲法違反である。さらに証拠の「犯行時の血塗れの着衣」が、捏造品(でっち上げ)だった。 

  その嘘の上塗りとして、着衣のズボンの端布(はぎ)れが、家宅捜索の時に、捜査員の手によって自宅の箪笥に押し込まれていた。それで1980年に最高裁で死刑が確定。仮釈放されるまで、34年の長い間、死刑執行の恐怖におびやかされてきた。 

  自白の強制、証拠の捏造による死刑判決は、これまでにもいくつか明らかになっている。そのほかにも三鷹事件、名張葡萄酒殺人事件などの被告は、冤罪を背負ったまま獄死した。「大川原化工機」事件の被告のひとりのように、無実で勾留中に胃がんを発病、拘置所では手当を受けられずに病死した例もある。 

  いまなお、警察、検察はやりたい放題で、反省と抜本的な解明に向かう姿勢にない。 

  袴田事件で検事総長は、無罪判決に強い不満の意を示し、警察も捏造の反省と解明を約束していない。いまだに絶対的権力を保持し、なんら反省のない捜査当局の民主化なくして、この国の民主主義は保証されない。