鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「偽満州」国家の罪業(中)  第225回

2025/01/22
  俳優・松島トモ子さんの「シベリア遺児」(「東京新聞」昨年12月24日)に触発されて、前回は満州について書いた。 彼女の父親は三井物産の、「満州」奉天支社に勤務していたが、1945年5月、関東軍に召集された。と、わずか3カ月後に日本は敗戦。シベリアに移送、抑留されて死亡した。 

  生まれたばかりのトモ子さんを抱えた母親は、なんとか帰国して100歳まで生きのびた。認知症が出てからは「ソ連の戦車がやってくる」と怯え続けていた。 

  わたしが生まれ育った東北の小都市、中学同級生にも「満州帰り」がいて、引揚者住宅に住んでいた。いま、稼働不能のまま店晒し状態となっている、核燃料再処理工場がある青森県六ヶ所村にも、満州からの戦後開拓者が入植していた。ほかにも軽井沢や鳥取県の大山山麓などでも、やはり満州からの引揚者を取材したことがある。 

  「建国」から崩壊までわずか13年。移住した人は155万人。混乱のなかでの死者は軍民合わせて24万5千人と言われる。戦争の悲劇は沖縄と本土で十分に体験させられ、非戦の誓いは平和憲法に凝縮されている。 

  が、植民地・満州での「満蒙開拓」の悲惨は、経験したひとびと以外にはなかなか伝わらなかった。死者ばかりか残留孤児の悲劇も、植民の後遺症だ。 

  国家崩壊のドラマの中で、親子、夫婦、兄弟が別離、死別。その間の中国人ゲリラとソ連軍の暴虐が伝えられている。が、731部隊による残虐性ばかりか、日常的な中国人虐殺は、ごく普通だった。 

  昨年7月に復刊された、藤原作弥の『満州、少国民の戦記』(愛育出版)は、ガザ虐殺、ウクライナ侵略戦争の悲劇を受けて、かつて出版されていた同書に、著者の対談や井上志津の映画シナリオなどを収録した「総集編」。正月はこれを読んで過ごした。 

  86歳の生き残りの記録だが、「やはり加害者だったであろう…当時の僕たちは、平均的な日本人にすぎず、時局認識も当時の潮流に流されていたことを認めざるを得ない」と著者は「あとがき」に書きつけている。