鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

下北核半島の現在(中)  第228回

2025/02/12
  本州から北海道にむけて、あたかも触手を伸ばしているかの半島を、わたしは「下北核半島」とよんでいる。が、挫折の半島とでもいうべきか。核半島の中心を成しているのが、六ヶ所村の「核燃料サイクル」である。 

  1969年に閣議決定された「新全国総合開発計画」(新全総)の中でも、石油コンビナートを中心に、もっとも期待された地域だった。が、「総合開発」どころか、アメリカのマンハッタン計画の「犠牲区域」、ハンフォード・サイトのような「核施設だけがやってきた」核半島にされただけだった。

  「21世紀に果たして人類が原子力に依存するのか、しないのか、決着をつけるためにも、日本列島全体でみるとそれに挑戦できるのは、下北半島ではないか。今、六ヶ所村で五千㌶をそのために活用しているが、下北半島全体で一万㌶ぐらいの準備をしながら、原子力と取り組むということは一つの歴史的な命題と思っている」。

  「開発天皇」とも呼ばれた、下河辺淳・国土審議会会長が97年6月、六ヶ所村で演説した内容の一部である。半島の原子力化の構想だが、そのおよそ56年前、新全総のころ、彼が経企庁の事務次官室でわたしに語ったのは、石油コンビナート計画だった。 

  しかし、その頃すでに核半島構想は蠢いていた(「鎌田慧セレクション・現代の記録」第3巻「日本の原発地帯」所収)。 

  六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場を中心にした「核燃料サイクル」は、日本原燃の掛け声も虚しく、着工から32年。まったく動いていない。それでも同村は日本でも数少ない、地方交付税不交付団体の栄誉を担っている。その秘密は「核燃マネー依存型」財政だからだ。 

  肝心の核燃施設は稼働していない。それでも日本原燃は黒字だ。工場は稼働しなくても、自治体も黒字。世にも不思議な物語である。核燃マネーについて、福田進治弘前大学教授は、こう書いている。 

 「固定資産税、国庫支出金、県支出金が非常に潤沢である。これら三者の合計が106億円で、歳入総額のじつに7割以上に相当する」