鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

伝えたいことを書く(下) 第231回

2025/03/05
  国境なき記者団が発表する、日本の「報道自由度ランキング」は、昨年70番目と前年より2ランク下がった。大統領の冗談か、と思われるフェイクが横行している米国でさえ55位。G7ではもちろん最下位だ。信じられないほどの日本ジャーナリズムの現在地だ。

  前回も書いたが、日本ジャーナリズが信頼を失ったのには、原発を推進したことが大きい。過剰とも言えるほどの広告費に買収された形だった。たとえば、福島事故が起きたあと、わたしは大江健三郎、坂本龍一、瀬戸内寂聴さんなどと「さようなら原発運動」をはじめた。その年(2011年)の9月19日、最初の大集会を信濃町の明治公園で開催、6万人だった。 

  この時、某紙の記者がきていたので、記事にするのでしょう、と聞いたのだが、「さぁ」との答えだった。驚いた表情を見て「都内版」に入れるように言います。その時は掲載予定になかったのだ。「ニュース価値」とは、社会的価値ではなく、新聞社の判断、忖度によるのだ。 

  俄然、がんばって読者を一気にふやしていたのが、東京新聞だった。一面に空撮写真つきで大きな記事を掲載した。「『3・11』をもって、東京新聞は1面に載せる記事の「主役」を権力側から「民」の側に明確に切り替えた」(菅沼堅吾『東京新聞はなぜ、空気を読まないか』)。 

  東京新聞は翌年7月16日の集会写真を1面上3段抜きで掲載。「さようなら原発『17万人』集う 酷暑の中 最大規模」と大記事で報道した。2面は登壇、発言した全員の写真と挨拶を扱った。 

  同紙の編集局長を務めた菅沼堅吾さんは「関東防空大演習を嗤わらう」(1933年)の論説を書いて陸軍を激怒させた、信濃毎日新聞の主筆・桐生悠々の言葉にこだわってきた。 

 「言いたい事」よりも「言わなければならない事」を紹介し続けてきた。この著書の基調は「気構え」である。それが権力と対決する精神であろう。新聞の最大の使命は、戦争を防ぐことだ。 

 「蟋蟀( こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」( 桐生悠々)。巻末に引用されている。