鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

南西諸島の苦難(上)   第238回

2025/04/23
  沖縄・南西諸島。その一つ、台湾海峡に面した与那国島への海は、「どなん」(渡難)の海と言われたりする。 

  台湾まで111キロ。東シナ海に漂う木の葉のような、渺渺(びょうびょう)たる島にはなかなか渡れなかった。沖縄海洋博がはじまる前の年、私は石垣島まで着いたものの、ついに1日1便、19人乗りの小型飛行機に乗れなかった。 

  その20年後にも与那国を目指した。が、南西航空の定期便は島の上空まで到達したものの、雲厚くして着陸を断念。翌日になってようやく到着した。帰りも1日足止めになった。そのぐらいの「秘境」だった。 

  同郷の津軽藩の笹森儀助が、この島に上陸したのは、明治26(1893)年、青森県弘前市を発ってほぼ3カ月かかった。彼は租納(そない)港に着いて、「言語通セサルモ郷里ニ居ルノ感アリ」(『南嶋探検』)と記している。津軽弁も難解だ。 

  2度目に訪問した時だったか、比川海岸の民宿「月の浜」で、そこで働くアルバイターの女性に名前を呼ばれて驚いたことがあった。開発反対の六ヶ所村(青森県)での集会で出会っていたのだそうだ。そこまで乗ってきたタクシーの運転手は、岐阜県から来た、という若い女性だった。寄る辺ない旅人たちを優しく受けとめる島だった。 

  ところが、2007年6月、米海軍掃海艇2隻が租納港に入港したのをきっかけのように、与那国町議会が自衛隊誘致を決議、「陸上自衛隊沿岸警備隊」の駐屯地が建設された(2016年開設)。 

  2010年10月、政府の新防衛大綱で、「南西シフト」、宮古島、石垣島、与那国などでの防衛力の強化が謳(うた)われるようになった。当時の米国のケビン・メア在沖総領事が「与那国島は台湾有事の際の掃海拠点になる」と本国に報告していた。 

  その頃から、「台湾有事」がさかんに唱えられはじめた。それに力を得たように、南西諸島にミサイル網が張りめぐらされ、与那国にも巨大な弾薬庫と地対空誘導弾基地が配置された。 

  そして、政府はついに「台湾有事12万人の避難計画」を発表して、防衛費を拡大している。