イチオシ

山川菊栄生誕130年 没後40年に寄せて(下)

2020/09/08
〜戦争への対抗と戦後における非武装中立思想・平和の思想〜 女性史研究家 鈴木裕子

十五年戦争
太平洋戦争

 大日本帯国は、出発当時から軍事大国化を目指し天皇を神とし、天皇への忠を第一義にして、臣民が天皇の命に従い「一旦緩急あれば義勇公に奉じる」(教育勅語)という国体観念を刻み込み、戦争に反対できないような大勢をつくりあげていった。

 とくに天皇裕仁が即位した翌年の1927年、金融恐慌が起こり、29年には米国発の大恐慌に見舞われる。天皇とブルジョア政府は、この危機に瀕して中小企業と労働者農民の無産階級を犠牲に生き残り戦略を講じる。

 同時に軍部の力が増大し、5・15事件(32年)、2・26事件(36年)というように天皇親政を目指す、軍事クーデタが発生。「重臣」政治と議会政治を否定する。

 33年、「満州事変」後、中国東北部における駐屯軍である関東軍が傀儡国家「満州国」を建国するが、国際連盟で支持されないと国際連盟を脱退、「非常時」といわれるような準戦時体制に突入した。

言葉を駆使
異講唱える


 こうしたなかで言論・思想統制が強化され治安・特高警察が拡大され、反戦や平和を呼号することが難しくなる。山川菊栄は、このような時代を「女性」や、「社会的弱者」、無産階級の立場から、反語や暗喩、修辞等を駆使しながら、異議を呈し続ける。

 総力戦においては前線のみならず、銃後や家庭の女性たちの戦時体制への協力が不可欠となる。贅沢狩り、消費節約・節米、その他家庭生活全般の戦時体制化が進められる。「婦人国策委員」という女性指導者・女性連動家が先頭に立ち、旗を振る。

 「一週一度肉なしデーはいかが」という勧告も出たが、菊栄は、「これは毎日肉を欠かさぬ階級へは適切な忠告」であろうが、「ある程度以下の収入階級」に対しては、「一週一度肉あリデーはいかが」といって、無料で肉を配給する日の制定も提唱してほしかった(「消費統制と婦人」37年)と。ここには民衆の生活を守ろうとする強固な立場が見られる。

 「政府の女性徴用」(1939年)という短い論考でも、国策委員として起用された婦選専門家、廃娼運動家、女子教育家が「歩調を揃えて、精動や貯蓄奨励に東奔西走の活躍」を続けている、とまず皮肉る。精動とは、日中全画侵略戦争後、挙国一致、臣道実践などを掲げ、発足した国民精神総動員中央連盟の略称だ。国民の頭も身体も戦時総動員するための官制組織。

 先の一節に続く菊栄の筆鋒は痛烈である。「婦人側でも、陰口屋のいうように、精動のチンドン屋、旅費稼ぎの講濱屋というような職分に甘んじているはずはなく」、しかし、「中には政府との協力を気負って、もはやタダの女、タダの人民ではなくなったかのように鼻息の荒いのもあるとかで……」というようにだ。

 アジア太平洋戦争後は、一層言論・思想統一制が厳しくなり、相手の言葉を抜き取り、発売禁止を逃れる手法が取られる。

 とくに菊栄のように、自身も社会主義者であり、夫も著名な社会主義者であり、常に監視されている状態にあったものには、最大限の工夫が必要である。戦時の服装統制を論じる一文で、「今は戦時です。国家の必要が服装の簡易化を要求し、個人の経済的事情もそれを余儀なくしている時、平時においてさえ、大多数の人々には不便であり、負担の重すぎるような服装の水準をしいて固執する必要がどこにあるのでしょうか」(「戦時下の服装」43年)。

天皇制に疑義
提出をする


 これは服装の一元的統制化に対する異議を呈したものであった。

 戦時下の菊栄の文章は、一見すると、戦争協力かと見間違えさせるものである。しかし、菊栄の思想は、ローザやリープクネヒトらの反戦反帝国主義を大きく評価したように、戦時にあっても変わらなかった。「国体思想」の欺瞞性も理解されていた。

 敗戦後初期の「近衛公の手記を読む」(46年)のなかに、「最後の断が天皇ひとりの意志にかかっていることは、天皇個人の思想、性格が一切を支配する独裁的権力を意味するもので、これほど大きな危険はない」「開戦といい、終戦といい、最も利害関係の深い八千万国民の意思を無視して、一人の主権者の意思によって決定されるところに、在来の制度〔天皇制〕の危険が潜んでいる」と、民を呪縛し、人間不平等の制度の改廃を暗に示唆していた。

 紙幅の関係で、菊栄の戦後の反戦非武装中立平和の思想と実践は論じられない。私としては、とくに菊栄が、左派社会党婦人部と協力して、発刊した『婦人のこえ』を中心とした反戦平和の論陣を一貫して主張した事実を記しておきたい。