鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

狭山事件の脅迫状(上)  第246回

2025/06/25
  中小企業の経営者たちに大弾圧を加えた大川原化工機事件。中国への不正輸出が容疑だったが、警視庁、東京地検、そして東京地裁は保釈を認めず、11カ月も勾留した。病死者も出た典型的な「人質司法」である。否認すると自供するまで釈放しない、現在の司法の暗部を示している。 

  袴田事件や狭山事件など冤罪事件はすべて、自白を強制する「人質司法」だった。というより、でっち上げである。袴田巌さん、石川一雄さんが「極悪非道の犯罪者」として、実際とまったくちがう人物像として伝えられた。警察発表をそのまま報道した新聞は、警察、検察、裁判所とともに、冤罪作成の責任者である。 

  袴田さんは冤罪を解決するまでに、58年の歳月を必要とした。石川さんはその途上で病死、どれほど残念だったろうか。いまだに無実が決定されていない。双方ともに証拠物の捏造(ねつぞう)であり、捜査当局の犯罪だ。 

  狭山事件の決定的な証拠は、犯人が書いた脅迫状だが、警察、検察は石川さんの当時の学力では、書けないのを承知で犯人とした。証拠に基づく捜査ではなく、証拠を否定するでっち上げだ。 

  狭山市の高校から下校したまま、中田善枝さんが行方不明になったのは、1963年5月1日。その日の夕方、善枝さんの自宅のガラス戸に、脅迫状が差し込まれてあった。そして奇妙にも、彼女が乗っていた自転車が、いつもと同じ、納屋に駐輪されてあった。犯人は彼女の家庭に詳しいもの、と考えるのが通常の推理であろう。 

  遺体は石川さんの自宅から500mも離れていない畑の道から発見された。石川さんの地域は、被差別部落だったのでそこの住むものが怪しい、との捜査方針がたてられた。 

  脅迫状は「子供の命が欲しかったら5月2日の夜12時に、金二十万円女の人がもってさのやの門のところにいろ。」と始まって文意は明快である。 

  誤字を多用しているが、運筆は滑らかで書き慣れている。ところが石川さんは、畑仕事の手伝いで、小学校もろくに通っていなかった。