鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

狭山事件の脅迫状(下) 第247回

2025/07/02
  6月末終わった国会(衆院)に、再審法(刑事訴訟法の再審規定)改正案が提出された。立民、国民民主、れいわ、共産、参政、社民の各党共同提出だった。超党派で進められてきたが、自民党内の反対が強く、公明、日本維新はそれに追随、法務省や検察官側が抵抗していた。

  再審の扉は固く、「開かずの扉」と言われているが、冤罪を解決しようとしないのは正義に反する。民主主義のパイプが詰まっても、放置。見殺しだ。再審法改正を速やかに行ってほしい、との悲願は、冤罪被害者にとっての、焦眉の課題だ。

  袴田事件のように冤罪が証明され、いよいよ再審開始、となっても、検察側が不正義の横車と言うべき「不服申し立て(抗告)」をして、無罪が確定するまでそれから10年も空費した。検察側は自分たちに不利な証拠を隠している。再審開始が決定されたら、不服申し立てはできなくしなくては冤罪者は救われない。 

  1979年、今から46 年前、鹿児島県の大隅半島で発生した「大崎事件」。男性の死亡事件の共犯者とされた原口アヤ子さん(98歳)は、再審が決定されても、4度も検事抗告されて、余命いくばくもない。

  狭山事件の石川一雄さんは、再審請求中に無念のうちに86歳で他界した。妻の早智子さんが引き継いで再審請求した。しかし、開始決定になっても、検察側が抗告してさらに10年も空費するなら、衰弱するだけだ。 

  司法界にはいま、こんな非情が罷まかり通っている。冤罪は速やかに解決する。それが人間の道だ。狭山事件の無実の証拠はいくつもある。そのひとり、当時の石川さんは文字を持たなかった。非識字者だった。

  逮捕された後、彼はもっとも重要な「脅迫状」を手本に、筆記の練習を繰り返させられていた。犯人が書いたはずの脅迫状を、彼は書けなかった。 

  文中の「西武園」を読めず、そばについて読み上げた取調官の口調通り「西ぶエん」と書くのが、精一杯だった。それでもそのことは無視され、死刑を宣告された。東京高裁で無期懲役に減刑されたが、デタラメだった。