鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

自民党の没落と参政党の出現 第252回

2025/08/13
  辞めるのか、辞めないのか。石破茂首相、参院選の無惨な敗退のあと、マスコミ各社の「辞任」とする予想記事を尻目に、辞めないと言い張り、居座っている。そして「丁寧に、真摯に、逃げずに説明することに尽きる」といつもの美辞麗句。「いつ大災害があるかわからない」など取ってつけたような、延命への言い草だった。 

  自民党は7月下旬に「両院懇談会」を開き、2時間の予定を4時間半にわたって、辞任をせまったが「懇談会」形式では決議できない。8月上旬、両院総会を開いて再度退陣に追い込む構えだ。それ以前には、首相官邸前で「石破首相辞めるな」とする、石破支援の市民デモがあった。 

  後任争いで超タカ派の高市早苗首相が出現する、と恐怖する人たちだった。しかし、選挙民がすでに自民党に見切りをつけたのだ。自民党は落ちるところまで落ちるべきだ。それを救うのは歴史への逆行というべきだ。 

  安倍政権は統一教会の支援を受けていた。それが日本の右傾化に大きな力を与えていた。そして裏ガネと買収選挙。私利私欲政治の横行、政治の私物化だった。菅義偉首相、岸田文雄首相と続き、反主流派の石破氏にバトンタッチされても、その退廃に変わることはなかった。 

  父親の石破二朗氏は、戦中の内務官僚から戦後、鳥取県知事、自民党の参院議員、自治大臣を歴任した。その関係から、石破茂は田中角栄の推挙を受けて、政治家になった。父親について石破は、「非戦、反ファシズム、リベラルという父の素顔」と語っている。(『保守政治家石破茂 わが政策、わが天命』講談社)。

  しかし、息子は、語ることとやることとがまったく分離している、二重人格だった。政治家としての自分の思いを捨て、転がり込んできた「首相」の地位を維持するために、安倍派の政治家たちの指示するままの政治しかできなかった。それが選挙民の不信任を買って、自民党の没落を招いた。 

  その政治の貧困が、極端な政治に救いを求める、「参政党」への期待を生みだし、日本の不安をもたらしている。