今週の新社会

核も戦争もない世界に

2025/08/20
微力だが無力ではない
原水禁世界大会の開会式で挨拶する高校生平和大使=8月6日、広島市内



被爆80年の広島・長崎
一筋の光へ進め

    
参院選で「核兵器は安上がり」などと妄言を吐く人物が参院議員になり、「核のタブー」が深く傷つけられる状況下で、「核も戦争もない平和な21世紀に!」を掲げた8月3日~9日の被爆80周年原水爆禁止世界大会、広島市の平和記念式典(6日)、長崎市の平和祈念式典(9日)が開かれ、戦争反対・核兵器廃絶への決意と願いを世界に発信した。 

     原水禁世界大会は、広島市の平和公園を出発した「折鶴平和行進」で幕を開け、2千人が参加して開かれた。 大会は被爆の実相を原点としたヒバクシャの援護・連帯を核廃絶運動、運動の次世代への継承を柱とし、核兵器禁止条約と核不拡散条約による核軍縮と、福島原発事故を教訓とした脱原発社会の実現をめざした。 

      広島市の平和記念式典は今年から全ての国・地域に呼び掛け、120カ国・地域の代表を含め5万5千人が参列。80年を経て被爆者の平均年齢が86歳、生存者が10万人を切る中で一刻も早い核廃絶を訴えた。 

  広島県の湯崎英彦知事は、核抑止力論の高まりに疑問を呈し、抑止はフィクションと断じた。 

       湯崎知事は、核兵器廃絶国際キャンペーンが17年にノーベル平和賞を受賞した際のサーロー節子さんの挨拶を引用、「核兵器廃絶は被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這はい進み、最後は抜け出して生を掴つかんだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標」と訴えた。 

       松井一實広島市長は「平和宣言」で、「自国のことのみに専念する安全保障政策そのものが国と国との争いを生み出す」と指摘。日本政府に、唯一の戦争被爆国として、また恒久平和を念願する国民の代表として、国際社会の分断解消に向け主導的な役割を果たしてほしいと訴えた。

    「長崎を最後の被爆地に」と訴えた長崎市の平和祈念式典で、鈴木史朗市長は「平和宣言」冒頭、1982年に被爆者として初めて国連で演説した故・山口仙二さんの「私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみを例え一人たりとも許してはならない」との言葉を引用した。 

       長崎市の爆心地公園では、9日朝7時すぎから核兵器廃絶をめざす「高校生平和大使」など全国各地の高校生ら約40人が参加して、核も争いもない平和な世界をめざして人間の鎖行動を行った。