鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「原爆は安上がりだ」(上)  第253回

2025/08/20
  ヒロシマ、ナガサキへの悲劇を思い起こし、鎮魂を祈る8月。「核武装が最も安上がり」などと言い放っていた候補が、参議院議員に当選した。所属する政党の公認候補だったが、除名されたり、辞任したりする気配は全くない。  

  党代表がその主張を認めている。モラルの欠如は、はなはだしい。しかし、いまや世界世論となった「核兵器禁止条約」への参加を拒否している、自公政府もまた、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者にたいする償いの感情がたりない。 

  広島の平和記念式典に参加した石破茂首相は、「核兵器のない世界」などと言いながらも、その道に至る、もっともたしかな道筋というべき、締約国73カ国、多数のオブザーバー国の核禁止条約については決して触れようとはしない。「口先首相」と言われながら、やがて辞任するのかどうか。 

  参政党の「日本人ファースト」は、アメリカのトランプ大統領のスローガンの二番煎じ。それで票を稼いだのだから、ナショナリストというよりは、無原則の利用主義といえる。「原爆が安上がり」というのは、無差別大量殺害兵器のコストを安いとする強弁である。 

  ナガサキの80年を発行日にした、高瀬毅『「ナガサキ」を生きる―原爆と向き合う人生』(亜紀書房)は、ナガサキ被爆2世執念の書である。ここでは、原爆の歴史とその被害などが、長崎出身者として、根限り追求されている。 

  ヒロシマはウラン型原発、ナガサキはプルトニウム型である。ウラン型は原料ウラン235がウラン鉱石の中に0・7%しかふくまれない。それを抽出するために巨大な遠心分離機を必要とする。 

  一方のプルトニウム型は、原子炉の使用済み核燃料から取り出せる。一発目広島はウラン型だったが、二発目のプルトニウム型が長崎で成功して、こちらが原爆の主流となった。 

  長崎投下は三菱重工の兵器製作所など工場地帯だったが、最初の目標は繁華街だった。つまり、より大量に殺人できる地域が、投下目標に設定されていた。無差別大量殺人兵器の論理だった。(続く)