鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「原爆は安上がりだ」(下) 第255回

2025/09/03
  長崎放送の記者だった伊藤明彦さん(1936年~2009年)は、被爆者の声の録音を企画し取材をはじめてまもなく、担当から外されて退社した。それでも肩書きなしで、全国1003人もの録音や録画に成功した。その偉業に刺激され、長崎の原爆投下の歴史を掘り起こしたのが、高瀬毅さんの『「ナガサキ」を生きる』である。 

  その中で、伊藤さんの著書が引用されている。「さいごの被爆者が地上を去る日がいつかはくる。その日のために被爆者の体験を本人自身の肉声で録音に収録して、後代に伝承する必要があるのではないか。被爆地放送関係者が歴史にたいして責任を負うた責務ではないか」『原子野の「ヨブ記」』。 

  「さいごの被爆者」が世を去る前に、はたして人類3度目の原爆使用にはならないか。そのためにこそ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇の継承がある。伊藤さんの後輩で、被爆者の声の取材を引き継いだ、松山忠弘さんはこう語っている。 

  「原爆がいかに非人道的か。人間が虫ケラのように殺された。それを知らしめないといけないんだと、話を聞く中で身に沁みてくるわけです」 

  トランプ米大統領もプーチン露大統領も、原爆は絶対使用しない、とはけっして語らない。トランプは戦争終結の方法に触れて、ヒロシマ・ナガサキの例をあげたりする。戦争を防ぐという「核抑止力論」をどのようにして粉砕するか。 

  戦争を「平和」の名の下に、政治家が大衆的動員をかける。戦争自体が残虐行為であり、原爆投下はその最大の表現だ。1945年7月16日、米ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠で、最初の原爆実験が成功した。その時、連合国側は、その爆風の強烈さに拍手したであろう。その時、放射能の最も恐ろしい「効果」は、肉眼では見えなかった。 

  高瀬さんは、ヒロシマ・ナガサキは原爆の実験地だった、という。原爆は水爆へと発達、さらに強力になった。世界中の数千発が本番を狙っている。核兵器禁止条約の締結を拒否する日本政府は、その加害と被害の恐怖を認識していない。