鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「人質司法」の犯罪性(下) 第257回

2025/09/17
  冤罪がなぜなくならないのか。身に覚えのない罪名によって逮捕される(たいがい別件逮捕だが)。留置場に勾留され、取調室で取調官から、執拗に自白を強制される。この屈辱と怒りは「濡れ衣」などの形容には、収まるものではない。たった1人、不条理の荒野に放り出され、世間の憎しみを一身に受け、家族も迫害される。その孤立感は想像するだけでも、身震いさせられる。 

  殺人事件だけに限っても、無罪判決になった冤罪は、この15年間で、足利事件、布川事件、東電女子社員殺害事件、東住吉女児焼死事件、松橋事件、滋賀・入院患者殺害事件、袴田事件、さらに福井事件などがある。 

  そればかりか、再審請求中に死亡した三鷹事件や名張ぶどう酒殺人事件がある。わたしが取材して本に書いたのは、弘前大学教授夫人殺人事件、財田川事件、そして3月に無罪を主張しながら病死した、狭山事件の石川一雄さんがいる。それぞれ冤罪者は1人(布川事件は2人)、松川事件は20人の政治弾圧事件だった。 

  この惨状をみると、警察、検察、そして裁判所が、いかに人権無視の対応をしてきたかがわかる。もちろん、強権国家なら、もっと日常的に冤罪やでっち上げ事件は多発しているであろう。しかし、日本は国民主権の国家、基本的人権が尊重され、拷問は憲法で禁止されている国である。 

  拷問に匹敵する、長期にわたる勾留と誘導尋問、調書の偽造、証拠隠し、さらには証拠の捏造など、許されるはずはない。 

  冤罪発生の基盤は長期勾留である。「人質司法」と呼ばれているが、自白するまで、あたかも、それが罰のように、勾留を繰り返して、自供を迫る。これは肉体的ばかりか、精神的な拷問だ。 

  発病しても拘束して保釈せず、ついに病死させた大川原化工機事件が、その教訓である。 

  前回も紹介した、「死ぬか、しゃべるかの選択を迫られ、父は死ぬことを選んだ」との遺児の言葉は悲痛だ。 

  死ぬまで釈放しない、「人質司法」と、「開かずの扉」再審法の改正。それが裁判民主化の前提だ。