鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

石破茂・無策の首相  第258回

2025/09/24
  「遅きに失した」「けじめ遅れ」「四面楚歌」。石破茂首相、退陣表明のあと散々。はるか年下の小泉進次郎に詰め腹を切らされた。マスコミは「退陣」を参院選惨敗のあと、と想定していたのだが、退陣表明の記者会見(9月7日)で、「どうしたら良かったのかな、と思う」と未練がましかった。

  「党内で大きな勢力を持っているわけではない。融和に努めながら『らしさ』を失うことになった」とも語った。党内少数派だった。それで党内多数、つまりは旧安倍派やまだ隠然たる派閥を維持している麻生派との融和に腐心していた、との述懐である。 
 
  2代目政治家・石破議員は「改革派の若手代表みたいな存在」(自著『保守政治家』)で、「ユートピア政治研究会」を組織していた。その名残か、自民党を脱退。新進党に転身、そしてまた自民党へ復帰などを経由して、総理になった。総理になって自分「らしさ」を失っていた、との自省は、いわば、出世のために自分を売った、ということになるだろうか。 

  父親の二朗は、参院議員、鳥取県知事などを務めた。息子に言わせると、「非戦」、「反ファシズム」、「リベラル」だったそうだ。が、息子は原発には批判的、選択的夫婦別姓にも理解を示していたが、さほどこだわりがなく、首相としてはなにもしなかった。 

  戦後80年、混迷を深める世界に向かって、かつての侵略と残虐行為を自己批判し、戦争は絶対しない、とする意思を歴史的な「首相談話」で発表する、絶好のチャンスだった。が、それさえ保身のため見送った。 

  そればかりか、憲法改悪(9条2項、国の交戦権否定を削除)、防衛力増強、核共有、非核3原則の見直しなど、党内右派と何も変わらない主張を続けてきた。 

  「現実の世の中が(中略)どんな愚かであり非俗であっても断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」(マックス・ウェーバー『職業としての政治』)。首相就任2カ月前に上じょうし梓した自著への引用である。