鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

小田実没後18年(上)  第261回

2025/10/15
  大国アメリカのトランプ大統領の暴政を考えた時、それに対峙する日本の首相はあまりにも卑小すぎる、と不安を感じるのは、筆者ばかりではないであろう。べつに対峙することなどない。これまでのように迎合すればいいのだから、という冷めた見方もあるかもしれない。

  が、ますます経済的、軍事的な従属を深める自公政権では、福祉までは手がまわらない。国益を損うだけだ。さらに維新、あるいは国民民主などとの連立政権では、歯止めにならない。つぎの衆院選挙で野党共闘の方へ巻き返せるかどうか。 

  かつて60年代まで、社共・総評ブロック、という運動体があり、安保闘争や三池闘争などの大衆運動が担われた。それが中曽根元首相の国労解体、総評解体攻撃を受けて組織は壊滅状態、統一行動の基盤が崩壊した。 

  それでも福島原発事故後、代々木公園での「さようなら原発」の大集会、さらには国会前での「戦争させない1000人委員会」などによる安保法制反対運動の高揚があった。が、国会議席の野党拡大には連動しなかった。自公政権が長引き、腐敗を重ねてなお、野党統一政権にまでは到達していない。 

  これからの野党連合政権を考えるとき、その基盤としての市民運動の強化と連帯の拡大が必要だ。その時、若ものたちの運動の拡大とそれとの結びつきが課題である。安保法制反対の時にシールズが登場したが、いっときの高揚で終わった。 

  「さようなら原発運動」は、福島原発事故直後、脱原発のために立ち上げた運動体だが、最近は気候正義のための若ものたちの、ワタシのミライ、Fridays ForFuture Tokyoなどとも、一緒に集会を開くようになった。 

  9月下旬、小田実まこと没後18年シンポジウムが東京で行われた。わたしも登壇したのは、戦後80年、彼の「人間の国」という言葉をキーワードにして、市民運動をひろげた、と思うからだった。 

  小田さんは「ベ平連」の中心的存在だったが、晩年は阪神淡路大地震の被害者として、法律を作る運動を始めて、それを達成した。