鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

いま問う国鉄民営化(下)  第204回

2024/08/07
  国鉄の分割・民営化から37年経って、亡霊のように出現した元国鉄運転士村山良三さんの『JR冥界ドキュメント』を、前回この欄で紹介したが、自殺者を150人も発生させた「世紀の労組大弾圧」を、一回だけの紹介では気がすまない。最後まで抵抗した1047名の人生を顕彰すべきなのだ。 

  あの時のマスコミを巻き込んだ「国労差別」が、今日の日本の運動の停滞をもたらした。大衆運動の基盤としての労働運動のつながりを破壊させたのだ。わたしたちは「国鉄処分」に反対する先輩や友人たちと相談して、朝日新聞に「JRに人権を!」の見出しで、全面広告を出した。 

  その後、他紙に出そうとしても、受付けてもらえなくなった。「JRには人権がない」とのアッピールは、新発足のJRにとって、もっとも許し難い批判だったのだ。国労組合員への人権攻撃が激しすぎたからこそ、150人もの犠牲者を発生させたのだ。 

  JR出発の翌年の86年12 月、中央線東中野駅で列車追突事故。過酷なスピード化の大事故として、2005年4月、福知山線尼崎市での脱線事故発生、107人死亡。安全と正確さが、世界的な定評だった旧国鉄の退廃といえる。 

  そして、37年がたって7月23日未明、日本の大動脈・東海道新幹線の蒲郡市で保守車両の衝突脱線事故。終日ストップの事態となった。 

  かつて、私は国家財産の「分捕り合戦」と書いた(『国鉄処分』)。元海軍将校・中曽根康弘、元大本営参謀の瀬島龍三、亀井正夫国鉄再建管理委員長(住友電工社長)などの政・財界人の欲望を、国鉄幹部職員が手下となって策動した。 

  「国鉄解体三悪人」葛西敬之、松田昌士、井出正敏の3氏がそれぞれ、JR東海、JR東日本、JR西日本の社長の椅子を獲得したのは、あまりにも見えすぎた論功行賞だった。 

  この政・官・財の総攻撃によって、労働運動内部の分裂が促進され、最大野党の社会党も弱体化した。国策にたいして、ジャーナリズムと労働運動が抵抗できなければ、防衛予算の拡大と過剰な軍備増強の先が、戦争だ。