鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

核のゴミの行方(上)  第205回

2024/08/14
  青森県の宮下宗一郎知事は、新潟県の東京電力柏崎刈羽原発に溜まっている、核の猛毒ゴミ(使用済み核燃料)の「中間貯蔵」を引き受ける、と発表した。 

  これは他県の原発ゴミもカネと引き換えに受ける行為だ。国の原発推進政策に協力することで、行き詰まった原発問題をカネで解決する流れの先端と言える。   

  本州最北端の青森県は、核施設と米日軍事基地の密集県だ。いまもあらたな軍事基地を押つけられている、日本最南端の沖縄とおなじ苦悩を背負わされている。だが、沖縄のような「問答無用」の強制ではない。

  宮下知事は7月末の記者会見で、核のゴミ引き受け決定を「国のエネルギー政策に貢献し、原子力行政全体の安全性を極めて高める事業と認識している」と自治体の首長というよりも、国家的見地からの発言をした。 

  「核推進」岸田内閣の林芳正官房長官は、これを「大きな意義をもつ」と歓迎。「使用済み燃料の貯蔵能力の拡大が重要な政策課題」と原発の突破口が見つかった、として手放しのコメントだった。 

  宮下知事は現職で死亡した父親の後を継いだ二代目、国交省の官僚だった。むつ市と原子力の関係は、1969年、横浜で進水した原子力船が、母港を旧海軍の軍港大湊(むつ市) にして「むつ」と命名されて以来である。 

  「むつ」は74年に初航海したものの、太平洋に出てたちまちにして放射線漏れ事故を発生させた。放射線汚染に漁民の反対が激しく、母港には帰れず、長期漂流の末、長崎県の佐世保ドックに停泊、ようやくむつ市の外洋に港を新設して入港、廃船となった。それが青森県の核施設の出発だった。 

  その港に近い畑地に2003年、誘致、建設されたのが、使用済み核燃料の「中間貯蔵施設」だった。東京電力と日本原子力発電が出資した会社だが社名は、「リサイクル燃料貯蔵」と「リサイクル」を前面にだした。 

  ここに50年間「貯蔵」して、そのあとは、隣の六ヶ所村の核燃料再処理工場に運ぶ、というタテマエだが、原子力船の廃船からはじまった核失敗の歴史を繰り返しそうだ。