鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

詩と画で戦争を伝える(下) 第214回

2024/10/16
  首相就任直後、石破氏は米駐日大使と会談。さらなる米日同盟強化を誓った。軍事オタクとしてよく知られ、米国との「核共有」や「憲法9条改悪」など主張する、超タカ派だ。 

 「首相就任」前、なんの権限もないのに10月9日の解散を決めた。それまでの「予算委員会で熟議する」という自説はあっさり反故にした不見識。出だしから党内多数への精一杯の迎合だ。 

  本人自身が防衛族だが、防衛大臣には防衛庁長官・防衛大臣を務めた、防衛大学校出身の中谷元氏を据えた。外務大臣・岩屋毅氏も防衛大臣経験者。政調会長の小野寺五展氏も、2度も防衛大臣を務め、沖縄・辺野古への土砂投入を断行した張本人だ。このように、一気にキナ臭くなった内閣が、来年の敗戦80年を迎える。不安な出発だ。 

  戦車十数台 かく座し/日本の若き兵士らの屍体/しぼりたる洗濯物投げすてしごとく/はてしなく路上に散らばう/うつろなる眼あけしまま(刺シ違エヨ) 

  前々回のこの欄で、峠三吉と『原爆詩集』を作成した、四國五郎の仕事を紹介した。 徴兵されて侵略軍の1人、戦車への特攻隊員として戦っていた。その「満州」の戦線で、彼はどれほど、ソ連軍との死闘を戦って斃れた若者たちを目撃したことだろうか。 

  本人自身、捕虜としてシベリアに連行され、捕虜収容所に収容された。その時、銃弾でなぎ倒された高梁畑を、たった2人でさまよう小さな姉弟の姿を垣間みた。 

  ひと眼でもと/へだてられた距離を 眸でおいすがり/小さな二つの影を最後に網膜にのこして/つれ去られたお母さんを/きみたちは 見はしなかったね

  『戦争詩』(藤原書店)は、四國五郎が戦後20年にわたって書き続け、没後10年を記念して出版された。ひとりひとりが戦争に至る過程を拒否する。その蓄積をつくるための詩や絵で表現する。表現によって戦争を遠ざけようとする意志。 

  「抑圧や侵略や非人間性に立ち向かう母と子を、その人間の愛と勇気を描きたい」というのが、四國五郎の願いだった。